teacher08杉本 公義 先生
FOR YOU TALK | INTERVIEW 08「人生に山あり谷あり」ですね。
杉本 公義 先生
1989年10月の邦友会誌 Vol.13に掲載された「FOR YOU TALK」記事よりご好評いただいた勝美と真智子のFOR Y0U TALKも
今回から新たに豊美こと神谷豊美、早苗こと柴田早苗のHOYU TALKに変わり、
お世話になった先生方のプロフィール・打ち明け話・学生時代のこと・現在のことなどなど、
学園では見ることができなかった先生方の魅力や意外性を引き出し皆さんに紹介していきたいと思います。
第1回目は経済学などでおなじみの杉本公義先生を迎え豊美と早苗のHOYU TALKの始まりです。
Q「いらっしゃい」
杉本先生といえば講義のときいつも耳が痛くなるほど声が大きいことや、試験では約6割の学生が落ちる“ジンクス”があるといった学生にとって苦手な先生と思っていた人もいるのではないでしょうか??
そんな先生のもっと違った面も聞き出せるのではないのかと期待ワクワクで、私たちは先生の自宅で対談をお願いすることになりました。
2人でアッチかな…コッチかな…と見ていると先生が「いらっしゃい」と外で私たちのことを迎えてくれました。
Q生年月日を聞かせてください
生年月日は、書類上は昭和6年1月1日生まれですが、本当は昭和5年12月17日なんですよ。
父が調度きりのよい日にということで元旦にしたんですよ。
Q生まれはどちらですか?
少年時代は父の仕事の関係であちらこちらと転校しました。
生まれは東京でしたが、島根県に行ったり山口県の下関に住んだりして『風の又三郎』みたいだなといっていたんですよ。
Q学生時代の思い出は?
先ほども言ったように父の転勤のため、ひとつの学校を入学から卒業まで過したのは、広島大学の経済学部だけだったのでこの広島大学に思い出が集中します。
大学では寮で過しました。この4年間本当に青春の二文字でした。音楽鑑賞会に行ったり寮の仲間とは本当に楽しく生活しました。
Q本学との出会い
市邨学園高等学校の商業科で7年間簿記を教えていましたが、東邦が短大創立に必要な教職員を募集しているのを知り、それまでに書いた論文を提出したところ採用され東邦短大に来ました。
この頃は学生数も60人余りで本職員はたったの7人ぐらいだけだったんですよ。それ以後20数年余り東邦短大に勤めています。
Q東邦短大での思い出は?
やはりなんと言っても学生運動が起こったことです。夜中に電話がかかってきて学長の家に集まり対策を練った思い出があります。
ほかの大学では学園封鎖を解くのに機動隊が出動したところもありますが本学では話し合いによってそれが解決したのがとても記憶に残っています。
Q今の学生と昔の学生との違いはありますか
昔の学生は、自分が大学生であるという自覚が強かったのですが、それが年々薄らいできたようです。
Q先生のテストは昔から6割ぐらいが落ちるのはどうしてですか?
やはり、覚えて欲しいことが最低限度あるのでそれをクリアーできなかった人にはもう一度テストを受けてもらうようにすると大体6割が落ちてしまいます。
しかし、追試ではみんな受かるようにしていますけどね。
Q趣味は何ですか?
クラッシックのレコードを聴くことぐらいですかな。
生の演奏を聴いたのは、大学の頃に一度だけアルバイトで受付をしてそのときに聴いただけなんですけどね。
Q在校生・卒業生にメッセージをお願いします
「人生に山あり谷あり」ですね。この言葉を在校生にも卒業生にも言いたいですね。
取材を終えて
こうして第1回目豊美と早苗のHOYU TALKが終わりましたがいかがだったでしょうか?
第1回ということもあってか、とてもあがってしまいなかなか上手にインタビューができませんでした。反省。反省。
最後にお忙しい中、私たちのために時間を割いていただき先生ありがとうございました。そして、いろいろ気を使っていただいた奥様ありがとうございました。
(担当:石川・柴田・神谷)